1820 移民委員会が、初の中国人のアメリカ渡来を報告
1830s 中国人の船員と行商人がニューヨークへ渡る
1821-1840 20年間で10人以上の中国人がアメリカに来たことが報告される
1844 米中間で平和友好と貿易に関する条約が締結(中国にいるアメリカ人に治外法権
の権利を与えるが、アメリカにいる中国人には与えられない)
1847 初の3人の中国人学生グループ(Yung Wing、Wong Hsing、Wong Foon)がマサチュー
セッツ州のモンスン・アカデミーに留学するため、ニューヨークに渡る
(Yung Wingは後に中国とアメリカの関係改善において重要な役割を果たす)
1848 カリフォルニアのジョン・サッターの所有地から金が発見される(多くの中国人が西海岸へ
渡来)
1850 カリフォルニアで主に中国人を標的にした外国人鉱夫許可税が定められる(1870年に違
憲とされるまで、その税の98%を中国系が支払う)
カリフォルニアの中国系人口の総数が4千人に達する
1851 カリフォルニアにおける中国人の人口が1年で4千人から2万5千人に増える
1852 2万人以上の中国人がサンフランシスコに到着
宣教師ウィリアム・スピアーが、サンフランシスコで中国人のための長老派布教活動を行う
1853 カリフォルニア州議会が外国人金鉱夫に課税(オーストラリアでの金発掘もあり中国系移民
は減少し、この年は4470人に留まる)
1854 サンフランシスコを本拠に、初の中国語新聞『ゴールド・ヒルズ・ニュース』が発行され、
その後、週刊となる
カリフォルニア州最高裁判事ヒュー・キャンベル・マレーが、中国人は証人として
白人に不利な証言をできない、との裁定を下す(この裁定は他の訴訟でも支持される)
この年、カリフォルニアの中国人が六協会Six Companiesを創設
1855 カリフォルニア州議会が、中国人の社会・経済的な活動を制限することを目的とし、市民権
取得の資格のない人種の移民を防ぐ法案を可決(この法律は、雇主、所有者、市民権を与
えられない者を乗せた船の受託者に乗客一人当たり50ドルの支払いを要求した)
1856 サクラメントで『チャイニーズ・デイリー・ニュース』が出版(たった2年で廃刊)
1857 1855年にカリフォルニア議会によって制定された法律が違憲と裁定される
サンフランシスコで中国人学校が創設
宣教師オーガスタス・ルーミスが、中国人学校の子供たちの教育のためにサンフランシ
スコに来る
『ハーパーズ・ウィークリー』が中国人男性と、アイルランド、ドイツ人女性との異人種間
結婚を報じる
1858 カリフォルニア州議会が中国系とモンゴル系のこれ以上の移民を阻止する法律を制定
1859 中国が天津条約で自国民の移民を禁ずる伝統的な政策を変更し、国民が国外へ出ること
を許可する(それまでは政府の許可なしに国外へ出ることは死刑に値した)
1857年に創設された中国人学校が夜間学校に変わる
1860 アメリカ国内に34,933人の中国人がいることが国勢調査で明らかになる
1861 この年、8,434人の中国人がアメリカに移民し、3,594人の中国人がアメリカを出たことが
報告される
1862 カリフォルニア州議会が、中国人クーリーと競合する白人自由労働者を保護し、カリフォ
ルニア州への中国人移民を減らすための法律を制定
カリフォルニア議会が外国人鉱夫許可税を支払っていない18歳以上の中国人に対し一人
当たり$2.50の支払いを要求する治安税を制定する
1863 Ling Sing対Washburn裁判で、カリフォルニア州最高裁は同州の治安税を違憲とする
1864 大陸横断鉄道建設のために中国人労働者が雇われる
1865 さらに多くの中国人労働者が大陸横断鉄道建設のため採用される(ピーク時は1万人
以上の中国人がセントラル・パシフィック鉄道会社に雇われた)
1866 ルイジアナのサトウキビ畑で働く中国人労働者が確認される(彼らの中にはキューバ経
由の者も含まれた)
1867 大陸横断鉄道建設のために雇われた中国人のうち2千人が約1週間のストライキを起こす
1868 バーリンゲーム条約が米中間で結ばれ、両国民の相手国への移民の自由が両方の国で
認められる(米中間において初の平等条約であるが、アメリカに帰化する権利
を中国人に与えるものではなかった)
1869 大陸横断鉄道完成(約1万5千人の中国人が職を失った)
農場所有者のグループが、最も安く中国人労働者を導入する最善の方法を見つけるため、
テネシー州メンフィスで中国人労働者代表者大会を開催
1870 カリフォルニア州が中国、日本、モンゴルからの売春婦の輸入に阻止する法律を施行
中国人がカリフォルニアからマサチューセッツ州ノースアダムズへ連れて来られる(靴
製造の白人労働者のストライキを妨害する目的で)
サンフランシスコ市がCubic Air条例(人間一人の居住に500立方フィートの空間を義務
付ける)を実施
およそ6百人の中国人労働者が、Alabama and Chattanooga鉄道建設のために雇われる
1871 ロサンゼルスで反中国人暴動が発生(無法な群衆に一人の中国人がしばり首にされ、
暴徒化した人々によって他の中国人たちも殺される)
1872 中国教育使節団がYung Wing(アメリカの大学を卒業した初の中国人学生)によって組織
され、10歳〜15歳の中国人学生30人が教育のためアメリカに送られる(1875年に使節
団が解散するまでの数年間に、さらに多くの中国人学生がアメリカに送られた)
1873 国際労働者協会が、反クーリー政策を公式に採用(目的は中国人締め出しである)
1874 葉巻生産に従事する白人の組合労働者が中国人の生産する葉巻の販売を妨害(サン
フランシスコでは、ラベルや模様は白人の生産する葉巻だけに使用された)
1875 アメリカ、ペルー、スペイン担当の管理官としてLan-PinとYung Wingが清王朝から任命される
ページ法が施行される(中国系、日系、モンゴル系の売春婦、犯人、契約労働者の入国
を禁止)
1877 カリフォルニア州チコで反中国人暴動が起こる
1878 サンフランシスコ市と郡の行政委員会が警察による保護を強化するよう求められる(サンフ
ランシスコの中国人地区には実施されない)
Lan-PinとYung Wingがアメリカ政府へ信任状を提出
合衆国最高裁、中国人は市民権を持つことができないと裁定
1879 カリフォルニア州が新憲法を採択(これは中国人を差別する法案を含んでおり、公共事業
において中国人から雇用の機会を奪うものであった)
下院で15人乗客法案(中国人を15人以上乗せた船の入港を拒否)が可決され、後に上院
に送られる(ヘイズ大統領は1868年のバーリンゲーム条約に抵触するとしてこれに拒否権
を行使)
Sun Yat-sen孫文(1866−1925)が兄弟と共にハワイに渡る(彼は後にホノルルのIolani
学校に通学する)
1880 バーリンゲーム条約が改正される(アメリカ政府はアメリカに住む中国人の人格と財産を
保証すると約束するが、約束は履行されなかった)
コロラド州デンバーで反中国人暴動が発生(住宅やビジネスが破壊された)
1881 議会がバーリンゲーム条約の精神に反し、中国系のアメリカへ移民を20年間停止させる
法案を可決(チェスター・アーサー大統領はその法案に拒否権を行使)
1882 サンフランシスコで中国人追放同盟が結成(フランク・ ローニーの指導による)
アーサー大統領が中国人排斥法に署名(中国系の移民が10年間禁止された)
中国共同共済会Chinese Consolidated Benevolent Association(CCBA)結成(1850年
代に創設された中国系移民の6つの相互扶助協会「六協会」が母体となる)
1883 ニューヨークの中国人がCCBA支部を設立
議会は1882年の中国人排斥法を修正する法案を可決(アメリカに住む中国系と中国系
移民に更なる制限を課す)
1885 ワイオミング州ロックスプリングで反中国人暴動が発生(約30人の中国人が殺害され、
財産が破壊される
1886 シアトルで反中国人暴動が発生(5人の中国系が死傷し、シアトルに住む中国系はサンフ
ランシスコに追いやられた)
合衆国最高裁が木造建築物内での洗濯業を規制するサンフランシスコ市及び郡の条例の
合法性をめぐって争われたYick Wo対Hopkinsの訴訟で裁決(州は正当な法的手続なしに
いかなる人の生命、自由、財産を否定することはできないとの裁定で洗濯業に従事する中
国系住民の権利が守られた)
1887 アイダホ州とオレゴン州の州境沿いで、中国人鉱夫が白人から攻撃を受け、31人が死亡
1888 本国に一時帰国している中国系の再入国を禁止するスコット法が議会で可決
(2千人の中国系がアメリカから締め出された)
1889 合衆国最高裁が、母国に戻った中国系住民の再入国の是非をめぐって争われたChae
Chan Ping対合衆国訴訟に判決(スコット法の合憲性を支持)
1890 アメリカ国内に107,488人の中国人がいることが国勢調査で明らかになる
1891 サンフランシスコで、日刊新聞『チャイニーズ・ワールド』が創刊(初の中国語と英語の2言
語の新聞)
1892 議会がギアリー法を可決(1882年の中国人排斥法を更に10年延長し、アメリカ在住の中
国系に対し、在住許可証の携帯を要求)
1893 最高裁が、在留許可証を持たない中国系住民の国外退去をめぐって争われたFong Yue
Ting対合衆国訴訟に判決を下す(ギアリー法の違憲性を訴えた中国人社会の主張を退け
る)
1894 中国とアメリカがグレシャム・ヤン条約を締結(中国がアメリカへの中国人移住の完全なる
禁止を受け入れ、アメリカは1888年のスコット法を廃止)
1895 日清戦争で中国が敗北(アメリカ国内の中国人が孫文の中国再建協会に対する理解を
深める切っ掛けとなった)
中国人組織Native Sons of Golden Stateが、Walter U.Lum、Joseph K.Lum、Ng Gunnの
3人をリーダーに組織化(1915年、中国系アメリカ市民同盟に改称)
1898 合衆国最高裁が、一時的に母国に戻った中国系住民の再入国を合法的に拒否できるか
どうかをめぐって争われた合衆国対Wong Kim Ark訴訟に判決(アメリカで生まれた人は、
素性に関係なくアメリカ市民であるとの原則が確立する)
議会は中国人がアメリカの準州となったハワイへ移住することを禁止する合同決議案を
可決(すでにハワイにいる中国人が、アメリカ本土に来ることも禁止)
1900 移民局長官に中国人排斥法実施の権限が与えられる
マッキンリー大統領、国家基本法に署名(これによりハワイに准州政府ができ、ハワイ
在住の中国人に在住証明書の申請が義務付けられる)
1901 議会が1892年のギアリー法を補足する法案を可決
1902 議会がアメリカの管轄権の及ぶすべての地域(合衆国内、准州内、ワシントン特別区、
それにフィリピンを含む)への中国系の移住を禁止し、居住を規制する条例を可決
中国人排斥法がさらに10年延長される
1904 フィリピン行政府によって行政命令38号が発令(中国人に関するアメリカ政府の規制をフィ
リピンに適用するため)
1905 サンフランシスコでアジア系排斥同盟が結成
中国人に対するアメリカ人の差別と偏見に抗議するため中国国内でアメリカ製品に対する
大規模な不買運動(アメリカ、ハワイ在住の中国人もそのボイコットを支持)
1906 サンフランシスコで起きた地震によりチャイナタウンが打撃を受ける
セオドア・ローズベルト大統領、ヴィクター ・メトカーフ長官をサンフランシスコに派遣(学校
における人種隔離について市当局と協議するため)
1907 中国人入国管理規則が布告される(アメリカ国内に入国する中国人を取り調べるため)
サンフランシスコの教育委員会が学校における人種隔離命令を撤回
1912 Sun Yat-sen孫文により中華民国建国
1913 カリフォルニア州が外国人土地法を可決(市民権を持たない外国人の土地の購入、3年
以上の賃借を禁止)
1917 アリゾナ州が外国人土地法を実施
1918 第一次世界大戦中に、アメリカ軍に入隊したアジア系住民の帰化が認められる
1921 ウォーレン・ハーディング大統領が移民割り当て法を制定(米国議会によって可決された
初の移民割り当て法であり、1924年の移民法につながる)
ワシントンとルイジアナの両州が外国人土地法を実施
1922 議会がケーブル法を可決(市民権を獲得できない外国人と結婚した白人女性は自らの市
民権を失うことになる)
ニューメキシコ州が外国人土地法を実施
1923 アイダホ、モンタナ、オレゴンの3州が外国人土地法を実施
1924 カルヴィン・クーリッジ大統領が移民割当て法として知られる新移民法を制定(アジア人排
斥法としても知られる)
1925 5月25日 最高裁、Chang Chan他対John D.Nagle訴訟に裁決(前年の移民法に基づき、ア
メリカ市民の中国人妻はアメリカへの入国を許されないことになる)
1926 法人The China Institute in Americaが設立(米中間の文化的理解の促進を目的とする)
1931 ケーブル法改正(市民権を獲得できない外国人と結婚した白人女性は、結婚後も市民権
を維持することが許される)
日本軍が満州を侵略
1932 ヘンリー・スティムソン国務長官が日本軍の満州占領に対し、武力によって作り出された
状況は認められないと主張(アメリカ在住の中国人は、このアメリカの政策を財政的に支持)
1933 ニューヨーク市の中国系洗濯業者が中国系人力洗濯業同盟を組織し、弁護士を雇い、
機械を導入していない個人業者の就業に1000ドルの保証金を課すニューヨーク市の洗濯
業条例を告訴(保証金は100ドルに引き下げられた)
1935 第一次世界大戦中にアメリカ軍に入隊した外国人(中国系、フィリピン系、日系を含む)に
市民権が与えられる
1936 西安事件勃発(張学良将軍によりChiang Kai-shek蒋介石が監禁されるという事件発生後、
アメリカ在住の中国人たちは、反逆者に蒋介石の解放を強く迫る電報を送る。その結果、
蒋介石が解放される)
1937 日中両国が全面戦争に突入(事態を憂慮したアメリカ在住の中国人は、中国へ財政的な
援助を送る)
1942 第二次世界大戦において、中国系、フィリピン系、日系、韓国系アメリカ人はアメリカを支援
1943 議会が中国人排斥法を廃止し、移民割当てを決める法案を可決(中国人は帰化を許され、
毎年105人の移民枠が認められる)
1945 ハリー・S・トルーマン大統領が戦争花嫁法に署名(1946年から1953年にかけて722人の
中国人女性がアメリカに入国)
1946 米国議会、割当て人数に関わらず、アメリカ市民の中国人妻の入国を許可
1947 1938年から1947年までに、アメリカ在住の中国人は、中国の家族、親戚、組織に総額70
万ドル送金
米国議会、1945年の戦争花嫁法を改正(中国系アメリカ人兵士は彼らの妻をアメリカに連
れて来ることを許可される)
1948 トルーマン大統領が難民救済法に署名(アメリカ国内の15,000人の中国人の法的地位
改善を可能にする)
合衆国最高裁がカリフォルニア州の異人種間結婚の法的禁止を違憲と裁定
1949 Mao Ze-dong毛沢東がアジア初の社会主義国である中華人民共和国を建国。内戦に敗
れた国民党の蒋介石は台湾へ逃れ、国民党政府を樹立し、中華民国として国際連合の
常任理事国の地位を占める(東アジアに冷戦状況が生まれ、この時期、5千人の中国人
がアメリカへ亡命する)
1951 米国内の中国人は社会主義が支配する中国本土に住む家族や親戚への送金を禁じられる
この年、Dr. An Wang Wang がLaboratories, Inc.を創立(コンピューター産業の巨人となる)
1952 マッカラン・ウォルター法が発効(1924年の移民法が撤廃される)
1953 1956年末を期限とした亡命者救済法で、中国人の政治的亡命者の米国入国が許可される
1956 カリフォルニア州、外国人土地法を撤廃
1957 中国系のChen Ning YangとTsung-Dao Leeがノーベル物理学賞を受賞
1959 Hiram Leong Fongが中国系として初の上院議員となる(ハワイ州選出)
1960 中国系アメリカ人、43万3千人に達す
1965 リンドン・B・ジョンソン大統領が新移民法に署名(1924年の移民法が撤廃され、アジア諸国
からのアメリカへの移民を可能にするため新しい移民政策がうち出される)
1968 サンフランシスコ州立大学の学生たちがエスニック・スタディーのプログラム開講を
要求してストライキを起こす
1969 カリフォルニア大学バークレー校の学生たちが続いて、エスニック・スタディーのプログラム
開講を要求してストライキを起こす
1971 国連総会で台湾(中華民国)が排除され、中華人民共和国の代表権が承認される
この年から1973年にかけ中国系映画スターBruce Leeが4つの作品に主演し、名声を獲得
1972 ニクソン大統領が米中外交を再開
1974 最高裁、Lau対Nichols訴訟で二言語併用教育が英語を話さない生徒のために提供されな
くてはならないと判決
1976 中国系アメリカ人を母に持つDaniel K. Akakaがハワイ州選出の下院議員となる
1979 合衆国と中華人民共和国が国交を回復(中国系アメリカ人、中国本土の家族との再会を
果たす)
1980 アメリカ国内に80万5千人の中国系がいることが国勢調査で明らかになる(中国系はアジ
ア系の中で最大の民族グループとなる)
1982 デトロイトで、中国系アメリカ人Vincent Chinが日本人と間違えられ撲殺される(日米の経
済摩擦が原因)
1984 台湾政府の指令を受けた人物によって、Henry Liuが暗殺されたことが国際的事件を引き
起こす(この事件の結果、アメリカ政府は国民党政府に対する政策を変える)
1986 移民改善・統制法が入国許可のない移住者への恩赦制度を創設                   
1989 中国系のテニス・プレーヤーMichael Changがフレンチ・オープンを制覇
1994 カリフォルニア州が187号提案を可決(入国許可のない移民のための権利と州政府の援
助を拒否)
この年、台湾系のJerry Yangがスタンフォード大学時代の友人とYahoo!を創立
1996 Gary Lockeが中国系アメリカ人として初の州知事となる(ワシントン州)
この年のアトランタ・オリンピックの体操競技女子段違い平行棒で中国系のAmy Chowが
銀メダル獲得
1998 中国系のアイス・スケーターMichelle Kwanが長野オリンピックのフィギュアで銀メダル獲得
1999 連邦捜査局FBIが中国系アメリカ人科学者Wen Ho Leeを、機密の核データを不当に取り
扱ったとして逮捕

製作責任者:小松 えみ (2005年度亜細亜大学国際関係学部 千葉則夫ゼミ4年)

参考文献:作成にあたっては主に以下4点の書物とその中の年表をベースとした。
Chan, Sucheng. Asian Americans, an Interpretive History (Boston: Twayne Publishers, 1991)
Kim, Hyung-Chan. Dictionary of Asian American History (New York: Greenwood Press, 1986)
Novas, Himilce and Lan Cao. Asian-American History (New York: A Plume Book, 2004)
Okihiro, Gary Y. The Columbia Guide to Asian American History (New York: Columbia University Press, 2001)

中国系アメリカ人タイムライン

1820-1999