「心の教育」は人と人との触れ合いから

親業訓練協会・教師学研究会代表 近藤 千恵

 

「心の教育」の出発点

 教師であるということは肉体を持つ生きた人間として生徒の前に姿を示すことです。知識・情報・技能を自分を通して生徒に伝えていきます。 それは生徒一人一人と関係を結び、それを通して働きかけていく営みですが、この営みこそが「心の教育」に深くつながっているのです。

一対一でどう接するか

 教師が生徒にいかに接し、どのような関係を結ぼうとするか、そのこと自体が生徒の心を育む上で大きな教育的意味を持ちます。生徒から見ると教師との関係は常に一対一であり、自分に対する教師の接し方がどのようなものであるかがその生徒にとっては大きな関心事なのです。自分の行動に対し教師がどのように接するか―どのような関係が教師との間にあるか―ということが生徒の心を育み、またその関係を通して何が教えられたか、ということが、二重の意味となってその教師から受ける教育となるのです。

体験による学習が第一

 こうした「教師と生徒の人間関係」が築かれていない中での「教育」は、機械による知識の伝達とほぼ変わりません。それならば簡単に手に入る様々な手段が存在しています。ビデオ、LD、テレビやインターネット、各種の活字媒体等々、時空を超えて情報は私たちの周辺にあふれています。

 しかし、生身の人間が集まる中でいかに生きるか―まさに人間関係そのもの―については、頭で学ぶだけでは十分ではありません。体験による学習が必要であり、実はそれこそが人が集まる場である学校で学ぶ第一の事柄ではないかと思うのです。

関係づくりの希薄化

 目覚しい速度の技術革新により、携帯電話とパソコンが若い人々の必需品として普及してきています。これが人間関係をどう変えていくか注目せねばなりませんが、ひとつ気にかかるのは、自己中心的な人間関係のあり方がますます一般化するのではないかと思われることです。 不特定多数向けのホームページによる自己表現、気に入った人に対して気に入った範囲での反応、そして相手の反応が気に食わなければすぐに撤退。あるいは匿名性ゆえの突然の攻撃。分かる人にしか分からない世界の構築。 一方、携帯電話でいつでも知人につながる便利さは、近くに存在する家族・友人・地域の人々を逆に遠い存在にしていきかねません。いつも連絡を取り合っているがお互いに踏み込まない……濃いのか薄いのかわからない、当り障りのない人間関係がますます一般的になっていきそうです。

教師学講座の出番

 教育にかかわる人はこれから、互いに接触するということ、つまり、人間関係の中で自分の意志だけで一方的に関係を規定できない他者と一緒に生きていくということについて、もっともっと生徒に教えていかねばならないでしょう。しかも体験を通しての学習を強化すべき時が来ているのです。教師がいかなる関係づくりを生徒としていくかということが、実は、生徒に対する心の教育の基本であることを、改めて認識してほしいのです。 知識の伝達、技能の伝達は、人間関係の築き方、社会の中で他者と共にいかに生きていくかという課題についてもなされなければなりません。ですから、生徒の「人間関係能力づくり」にも貢献できる学校、教師が今求められているのです。 「教師学講座」は教師と生徒の絆づくりに大きな力を発揮してきました。今ほど、学校と教師に「教師学講座」が求められている時はないと思います。